18.11.22 (1/3ページ)
Vol.10

儚くも美しき、この世に生まれた奇跡。

「香りを閉じ込める」 幻を記憶に残す作業

子どもの頃、樹の幹にぽっかりと穴が空いていたら、その中に何があるのか、片目を近づけて覗いてみた。大きな石があったらそれを裏返して、石の下にどんな生き物がいて、どんな世界が広がっているのか、想像しながらワクワクした。セミは一生の大半を地中で過ごし、地上に出て成虫になると1週間の命しかないことを知った時も、どうしてセミは幼虫の時間がそんなに長いのか?セミの一生はそれで楽しいのか?不思議になって、想いを巡らせた。


今の私のチョコレート作りは、その時と何も変わってはいない。新しい素材に出会うたびに、その素材はどんな環境で誰が作っているのか?その味わいや香りはどこから来るのか?徹底して調べ、自分の五感で感じて、想像を膨らませるところから創作の連鎖が始まる。昨年から今年にかけてもたくさんのポテンシャルを感じる素材との出会いがあったが、それぞれに共通していたのは「香り」という要素だ。実際、香りの持つ力はすごい。一粒のボンボンショコラを口にした時、人はまずその香りに歓声を上げる。「まるで本物の花の香りのよう!」「果実がそのまま入っているみたい!」と。しかし、本物の花や果実は実際そこには存在せず、強力なインパクトだけを残した後、気づくといつの間にか消え去って、記憶の中に刻まれるのみとなる。瞬時に人を魅了し、まるで幻のように儚くも消えゆく香りの煌めきを、どうやって1粒のチョコレートの中に閉じ込めるか。それが、私にとって今年最大の課題となった。

3日目の野菊の ワイルド・エレガンス

芳香小野菊〜この鮮やかな橙色の可憐な野の花に、ごく一般的な菊の花の香りを期待していると、それはあっさりと裏切られることになる。菊というよりもむしろパッションフルーツのようにみずみずしく、鮮明。アプリコットのように甘く、豊潤。台湾・宜蘭県の1,000mを超える高山に自生する野生の野菊というワイルドなプロフィールに耳を疑うほどにエレガントな香りを放つこの小菊は、本来は台湾でお茶として親しまれているものだ。


この素材との出会いは全くの偶然で、実は昨年、台北を訪れた際にこれとは別の品種の白い菊花と出会い、ドミニカ産のカカオと合わせてチョコレートにしようということで送っていただいていた。しかし、今年はその白い菊が不作で手に入らない。それに代わって届いたのが、この芳香小野菊だったのだ。花の芳しい香気は、開花から3日目がまさに最高潮に達し、その時を見計らって生産者が1つずつ丁寧に手摘みして乾燥させているのだという。トータルでも5日間ほどしか開花しないこの花のまさにピークの瞬間を摘み取っているだけに、非常に希少性が高い。ちなみに香りだけではなく、ルテインという眼に良い成分が豊富に含まれているため、漢方薬としても珍重されている。


最初はこの花の香りのガナッシュをシンプルにペルー・チャンチャマイヨ産のカカオと合わせていたのだが、かつて作った金木犀×チャンチャマイヨと似たテイストになってしまうため、差別化するための要素が必要だった。その時、思いついたのがこの芳香小野菊の葉だ。現地の生産者に問い合わせたところ、通常、葉を出荷することはないそうなのだが、部屋中が良い香りになるほどの香気があるということなので、それも日本に送ってもうらうことにした。結果的には、花と葉を別々にアンフュゼしてガナッシュに用い、ツートン構造にしたことで、芳香小野菊ならではのふくよかでエレガントな香りがよりパワーアップされ、4つの連作シリーズのトップバッターにふさわしく、口の中で長く余韻が続くアイテムとなった。

赤紫蘇のリベンジ 想像を凌駕するプラリネ

大脳生理学的に言うと、ひとたび強烈な香りを体験すると、それは脳の海馬に深く刻まれて長く記憶されるらしい。その体験は人間の本能と直結し、同じ香りを再び感じた時、関連する特定のシーンや人物などを思い起こさせるのだという。私が2年前に出会った和歌山県産の赤紫蘇の香りは、まさにそのレベルに匹敵する強力なパワーを持つものだった。日本特産の赤紫蘇は、毎年6〜7月にしか出回らない貴重なジャパニーズ・ハーブ。毎年、梅干しを漬けるシーズンになると店頭でもよく見かけるが、和歌山県産の赤紫蘇はそれらとは全く別次元のものだ。紫蘇独特の爽やかな芳香を漂わせながらも、凛とした力強さ、ふくらみのあるまろやかさを併せ持つ芳醇な香りは、これまでの想像をはるかに超えていた。


昨年はこれを用いてタブレットを作ったが、正直なところ完璧な作品とまでは言えなかった。自分はまだこの赤紫蘇本来の魅力を表現できていない、何かを勘違いしているのではないか?そんな疑問が胸の奥に引っかかったままだった。そんな中、迎えた今シーズンの作品創りの時間。赤紫蘇で再度、リベンジを果たそうと考えたのだが、今年は大型台風が続いたので、様々な理由から和歌山県産のものが手に入らないと言う事態に直面した。一時は諦めて他の赤紫蘇で代用しようと様々な地方から取り寄せてみたのだが、やはりこれにかなうものにはなかなか出会えない。入手できなかったことでより一層、その実力の程を知ることになった。結局、予定よりかなり遅れてようやく和歌山から赤紫蘇が届き、そこから急ピッチでプラリネの製作が始まった。今回はこの赤紫蘇のプラリネが4つの作品の中でサブ的存在ながらも重要な役割を果たすことから、何度も試作を重ねた。


今年、赤紫蘇について新たに発見したことは、クエン酸との掛け合わせで香りのポテンシャルが一層引き出されるということだ。昔から赤紫蘇がクエン酸を含む梅干しを作るのに利用されていたのは、実は自然の理に叶ったことだったのだ。さらに、同じシソ科に属するスペアミントをごく少量プラスすることで、赤紫蘇の香りの輪郭をより明確に表現することにも成功した。極上のピエモンテ産ヘーゼルナッツと日本の赤紫蘇を融合させることによって誕生したプラリネは、これまでの概念を覆す個性的な香りと余韻を脳裏に刻むものになったと思う。

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