18.01.19 2017年12月号 月刊『YO-RO-ZU よろず』 「おいしい」の周辺②
第二回

[ケーキが生み出す出会いと発見]

不思議なことに、僕が新作のチョコレートをつくると、そのイメージでミュージシャンたちが曲を書いてくれる、ということが最近続いている。
 チョコレートと音楽の「コラボ」というようなものではなく、そのミュージシャンたちが僕のお菓子からイメージを立ち上げ、物語を紡ぎ出す、というファンタジーの創造なのだ。これもまた、お菓子づくりの周辺に生まれたもので、一つのケーキが音楽を生み出すのだと思うと、緊張と共にますますやりがいを覚える。
 近年、国内だけでなく世界中で自然災害が続いて、悲しい現実もたくさん起こっている。それでも人は何とか踏ん張って、乗り越えていこうとしている。その姿がたくさんの人に何かを与えている。
 そう考えたとき、「ヒューマン」(完全ではない者という意味での人間)が蓄えている計り知れない知恵の力に感動して、昨年、「Human~coexist with nature(自然と共に)~」というテーマでチョコレートをつくった。そして、この「ヒューマン」というタイトルで、あるミュージシャンが曲を生み出してくれた。また、別のロックミュージシャンは、彼のお見舞いに贈った僕のケーキにインスパイアされて、二十分を超える大作をつくり、「自由に使ってください」と言ってプレゼントしてくれた。
 災害に限らず、食においても「発酵」という人知の及ばない世界と僕らは対峙する。そして、それを活かす知恵を僕たちは先人から受け継いで生きてきた。そこには数えきれない試行錯誤が繰り返されたはずだと想像できるし、今でも「より良いもの」を生み出そうとしているたくさんの人たちがいる。未来にもその姿勢と知恵は受け継がれていくに違いない。
 その長い歴史の営みの一場面を担っていることと、何かに影響を受けて音楽を生み出し、それが多くの人に響いていくミュージシャンたちの行為は、どこか似ている。


今年のチョコレートは、「ディスカバリー」をテーマにしてきた。新しい発見だけでなく、子どもの頃に「そうだったのか!」と感動した「見つけ出し、探り当て、嗅ぎつけ」などと同じ意味での発見が大人になってもある。「このシュークリーム、おいしい!」と思った子ども時代とはまた別の角度から「おいしい!」と驚嘆する。「この人の音楽は凄い!」と感じた少年時代とは違う受け止め方として同じ曲が心に染み入る。そうした再発見を重ねていくと、生きていることがとても豊かになる。
 高校生で「ケーキ屋になる」と決めたときの「ケーキ屋」のイメージとは違う発見が、実際にケーキ屋になってみるとたくさんある。もちろん、まったく変わらない軸として持ち続けているものもある。エンターテインメントで、アートな仕事だったら素敵だなあと思っていたことは、間違っていなかった。そういう意味で、僕は常に「ケーキ屋を再発見」している。
 十年前にチョコレートを始めたのも、そこにつながるような気がする。ケーキづくりでのいろいろな実験で発見したことが、小さくて制約のあるチョコレートで活かすことができると思ったし、それが出来たら新しいチョコレートを僕自身が発見することができる。そういう試みはやっていて面白いはずだと直感的にとらえた。そして、その感覚は、放課後に路地裏の狭い空間をいかにうまく使って遊ぶか、という工夫にも似ていると思った。
 こんなことが面白くて仕方がないのだから、そのことを分かってもらおうと語り続ける。すると、その過程で新たな出会いが生まれたり、自分自身の新たな楽しみを与えてもらえたりする。今でも僕が仲間たちとバンドをやっているきっかけは、その人がリーダーを務めるロックバンドの曲が高校時代の僕の心を震わせたからなのだが、あこがれのバンドのライナーノーツも書かせてもらえた。
 僕のチョコレートをもとに、音楽だけでなく、絵本にしてくれる人、ガラスの彫刻にしてくれる人などが表れる。そのことが、とても、ありがたい。なぜなら、デザイナーにも、ミュージシャンにもなりたかった僕の夢の一つを、他の人にやってもらえている――そういう感覚になれるからだ。「自分の人生、こうありたい」と夢想していたことを、たくさんの人たちに彩ってもらっている気がする。
 逆のケースもある。
 十一月に「ファンタジーディレクター」というデコレーションとアニバーサリーケーキの専門店を、「エスコヤマ」の敷地内にオープンした。童話の「お菓子の家」は、デコレーションケーキがもとになっているのではないかと思っているのだが、お客様それぞれのファンタジーをつくりあげていくお店にしたいというのが願いだ。  その過程で、一人の左官と仕事をしてきた。ショコラショップ「Rozilla」も彼の手によるものだ。おじいさんの代からの左官の家に生まれ、彼の父も世界的な左官職人だ。
 彼自身は、もともとパティシエになりたかった。「それなら」と、父からヨーロッパのケーキ屋を見てくるよう旅費を渡された。その際、「いくつかのヨーロッパの建築を見てくること」も条件付けられた。それが彼に衝撃を与えた。左官になったほうがパティシエよりもスケールの大きな表現ができるのではないか、と考えた彼は帰国すると左官の道を歩み始めた。
 そんな男がケーキを作る建物を建てている。パティシエにはならなかったけれど、別のかたちでお菓子作りに関わっているのだ。
 どんな仕事でも、結局は一つの方向へ進んでいくように思う。要は、自分の軸が本物だったら、伝えられること、表現できることは、限りなくあるのだ。


専門学校を卒業して神戸の洋菓子店「ハイジ」に就職して間もなく、百貨店のアイスクリームフェアだったか、ぬいぐるみを着てお客様を呼び込む仕事を任された。他の新人も一緒だった。
 暑いこともあって、「ケーキ屋なのに、なんで、ぬいぐるみ着るんや?」という不満が同僚からは出ていた。気持ちは分かる。でも、子どもたちが喜び、先輩に褒められ、仕事を任されるということが、僕には純粋に嬉しかった。その後も、何を頼まれても調子に乗ってやるので、ケーキ作り以外のことがどんどん与えられた。
 仕事を任せるときには、二通りの任せ方がある。
 一つは、クッキーを焼くときに、その並べ方がきれいで速いから、ずっとクッキーを焼かせたいタイプ。もう一つは、クッキーをこれだけ素早く上手に焼けるのだから、他の仕事も任せてみたいタイプ。前者の職人タイプも必要、後者のオールラウンドプレーヤーも必要。要は、適材適所を見抜く人がいるかどうか。
 振り返ってみれば、ケーキ作り以外のことでも、僕はケーキ屋の仕事だと思ってきた。自分がやっていることとケーキ屋であることの意味が結び付けられないと、目の前の仕事に好き嫌いが生じて、しんどくなる。逆に言えば、自分で自分の目的に結び付けられるものが多いほど、仕事の幅は広がり、楽しみも増えていく。
 ケーキ屋はケーキだけで成り立っているのではない。圧倒的に多い「ケーキの周辺」にこそ目を向けていなければならない。少なくとも、僕自身は、「ケーキの周辺」からケーキ屋になっていった。遠くから、ずっとケーキを眺めながら、一足飛びにケーキに近づかず、じっくりとケーキの周りを歩き続けてきた。「ハイジ」の前田社長も、「こんなケーキがあったらオモロイと思わへんか?」「こんなパッケージにしたら、もっと美味しそうに見えるやろ」という話ばかりしてくださったこともあって、僕は「ケーキそのもの」よりも、「ケーキをとりまく全体像」を見ようとするケーキ屋になったのかもしれない。


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