18.03.06 2018年3月号 月刊『YO-RO-ZU よろず』 「おいしい」の周辺⑤
第五回

[ 「理由」が刻まれた歴史 ]

二〇〇三年の「パティシエ エス コヤマ」のオープンから今日までの「歩み」を客観的に記録し始めている。いつ、どんなものを建てた、お菓子教室を始めた、本を出版した、どんな大会に出品した、などなど。
 きっかけは、庭師から「なぜこういうものを建てたのか、その理由が知りたい」と言われたことだった。やってきたことには、それぞれ理由がある。その都度、「なぜこれをやるのか」をスタッフに、そしてお客様にも伝えてきたけれど、トータルに見直してみると「もの創りには何が必要なのか」という僕の考えを僕自身が立体的に見直すことができるのではないか、とも考えた。
 十五年前に「エスコヤマ」をオープンしたとき、「おまえは、こんなことがやりたかったんか~?」と先輩たちに言われた。そこで僕は言葉を返した。「こんなことだろうが、あんなことだろうが、自分でやってみないことには何がやりたいことなのか分からへんでしょう?」。
 その意味は、こうだ。
 僕には「今できること」と「今からできるようになること」がある。その両方をやっていく中で本当に「やらなくてはいけないこと」が見えてくる。しかも、あらゆるケーキ屋のスタイルを知っている僕が、どこかにあるケーキ屋をやる意味はない。だから、「エスコヤマ」がこれから進むべきスタイルは、「やってみなければ分からない」。
 この話と同様、十五年間に次々と建物を建ててきたことは、傍目には無計画さとして映るかもしれない。でも、その考え方は想定可能な範囲が前提となっている。これから出会う「エスコヤマ」は僕にも分からないし、そのときにどう対応していくのかも、その対応レベルも、それに向き合う熱も、今は分からない。未来へ向かっていく面白さは、そういうことにあると思う。
 十五年間の歴史を振り返ってみたとき、分からない中でも何かを探しながらやってきた自分の姿がはっきりと表れ、それを客観的に捉えることができれば、伝えていく価値があるだろうし、それが僕の役目でもある。
「エスコヤマ」の社訓は、「お菓子でいたずらをする」だ。変な社訓なのだが、要は、お客様を驚かせようということ。この社訓が十五年の中に確実に見て取れる。
 この、お客様の驚かせ方が「エスコヤマ」の場合は少々変わっている。「コンプレックス」や「弱点」や「改善点」から見つけていくのだ。
 二〇〇三年十一月十三日のオープン初日から、予想に反して長蛇の列。多くのお客様を待たせてしまうことになった。これは僕にとっては「改善点」だ。たくさんの人においしいお菓子を届けるというコンセプトが崩れてしまうという「コンプレックス」を初日から突きつけられた。これを、お客様のほうから考えると、「並ばせる」「手に入らない」というネガティブな印象になる。僕の真意と真逆なケーキ屋だ。
 だったら、どうするか。商品を揃(そろ)える努力はもちろんだが、なぜ材料が手に入らないのか、なぜ時間がかかるのか、なぜ他では買えないのか、などを丁寧に伝えていくしかないと思った。お菓子屋なのにずっと言葉を重視してきたのは、そういう理由からだ。自らの「弱点」に対して誠実でなければいけない。
 しかし、言葉は言えば伝わるというものではない。「言う」と「伝える」はまったく違う。お客様に真意が伝わってこそ納得していただけるのだ。
 だから、「言えば届くはず」と考えていると、工夫をしなくなり、結果的には届かない。届けたいならば「届かない」を前提にするしかない。だから、僕は「もしかしたら、お客様に勘違いされているのではないか。それならば自分の言葉で伝えよう」と考えてお菓子教室を開いたり、地域の講演会などでも話をしてきた。直接伝えられない人にはどうするか、と考えて『スウィートトリック』という冊子も作った。そうして相手に自分の熱意が届けば、達成感も得られるし、理解してもらえた喜びは自信にもつながる。
「コンプレックス」や「弱点」や「改善点」を前提にしたから、商品には物語が添えられ、夢のあるパッケージデザインや建物が生まれた。だから、「やってみなければ分からない」なのだ。そこにお客様の驚いたリアクションを見るという喜びも加わっていく。


もう十年ほど前になる。自分がインタビュアーとして、「今聞きたいことや知りたいこと」をクリエイターの方や料理人の方に質問し、記事にして掲載するセルフマガジン『FuKAN 俯瞰』という雑誌を作っていたのだが、その中で、僕が出会った「がんばっている人」に取材した文章を載せた。僕だけが見つけたその人の素晴らしいところを紹介できて、読んだ人の何かの役に立つならば、と考えたからだ。
 京都のある和食のお店に、気になっている若い人がいた。キラキラと光っている。大将に、「ネクスト・ジェネレーション」というコーナーで彼のことを紹介させてほしいと頼んだ。大将は、「だったら、こいつを」と二番手のお弟子さんを推薦してくれたが、僕は大将に頼んで、キラキラしたものを感じさせてくれる五番手のお弟子さんに取材した。
 彼にはいろんな話を聞いた。その過程で、彼の挨拶の仕方まで変わっていくのが見てとれた。出来上がった雑誌を渡すと、大将は我が事のように喜んでくれた。東京のお寿司屋さんのお弟子さんにも、同じように取材させてもらった。僕が紹介した二人は、今では独立して、どちらも予約が取れないお店になっている。二人とも、あのときの雑誌を宝物として持ち続けていると言ってくれた。
 彼らの姿をいちばん分かってほしかった読者は、自分の店のスタッフだ。そこには、いろんな理由がある。同年代のもの創りの世界にいる人たちに負けるな、という励ましもある。君のキラリとした才能を見ている人がいるということも言いたかった。僕がお菓子屋だけではないことにもチャレンジし続ける理由を汲み取ってほしいという願いもある。スタッフが成長してくれること、そして、僕の知らない誰かも成長してくれること、それを信じるからやっていける。
 そういう経験をして思うのは、例えば新しいチョコレートのアイデアがひらめくことと、この若者と一緒に何かやったら面白いことになりそうだと直感的に感じることは、とてもよく似ている。「チョコレートに菊を使いたい」と言っても、スタッフは「菊、ですか?」とキョトンとしているが、完成すると「なるほど」と頷く。大事なことは、アイデアや発想がかたちになるまでの間に「なぜ、こういうことをやりたかったのか」という意味に気づいていくこと。この意味こそが人へ伝わっていくものだろうと思うし、「本当にやらなくてはいけないこと」は、そこにある。
 だから、スタッフには「考える癖」を付けてほしいと思っている。考えることと考えないことは何が違うのか? 考えてやったことは、失敗しても失敗の理由を探すことができる。だから「反省」ができる。考えないでやったことは、失敗のポイントを見つける準備が不足しているから同じ失敗を繰り返す。
 反省はネガティブに落ち込むことではない。実現できなかった理由をポジティブに考えるのが反省の目的で、本当にやらなければならないことに気づいていけばいい。気づいたら、楽しんで全力でやる。自分が楽しいことは世の中の誰かの役に立っているはずだ、と信じることができる人は、きっと仕事が面白くなる。


余談だが、オープンのとき、友人のパティシエに何人か来てもらって、それぞれのお店の商品の中から僕がいくつか指定して作ってもらった。そして「エスコヤマ」のオリジナル商品と彼らの商品を並べた。普通は、オープンする店の商品を多く揃えるために助っ人として来てもらうのだが、僕は「数」を重視していなかった。求めたのは、「エスコヤマ」のクオリティに匹敵するものだったからだ。
 僕は、勤めていた「ハイジ」で、すでに自分の好きな商品は作ってきた。それは、もう「エスコヤマ」で作る必要はなかった。どこのケーキ屋のセオリーでもはかることのできないケーキ屋をイメージしていたからだ。

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