Vol.13
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5日目:ラファ・ゴロチャテギ氏のお話と小山シェフによるショコラセミナー

皆さん、こんにちは!ショコラ製造部 中川です。
海外研修旅行5日目、のラファ・ゴロチャテギ氏のお話と小山シェフによるショコラセミナーについてレポートさせていただきます。


今回私たちに、バスク地方の伝統菓子「ビスコチョ」の歴史やチョコレートがバスク地方もたらした当時のお話や写真、そしてデモンストレーションをしていただきました。


お話してくださったのは、スペインのトロサという町で祖父の代から続く洋菓子店を営み、バスク地方の洋菓子界の第一人者といわれている、ラファ・ゴロチャテギ氏です。

最初に、スペインバスク地方の伝統菓子である「ビスコチョ」についてのお話をしてくださいました。

皆さんは「ビスコチョ」(bizcocho)をご存知でしょうか?この辺りで広く親しまれているビスコチョは、5世紀末から16世紀にかけて誕生しました。カステラの原型になったという説がありますが、当時のビスコチョは現代のカステラとは全く異なるものだったそうです。


ポルトガルから日本に伝わったカステラですが、ポルトガルの貿易商人たちと一緒に日本に渡ってきた、フランシスコ・ザビエルによって広められたと言われています。彼も実はバスク地方の出身で、バスクと日本はお菓子の歴史において切っても切り離せない関係にあるのです。


ビスコチョは、16世紀までは生地を二度焼きするのが主流だったのですが、それは生地の水分量を減らし、長期保存ができるようにする為です。食感はサクサクとした軽いものであったそうで、当時から漁師や、航海用の食糧として重宝されていました。
16世紀と言えば大航海時代、あのマゼランの世界一周の船にも積み込まれ、その量はおおよそ24トンもあったのですが、ビスコチョの水分を飛ばしたことによって7トンも軽減することが出来たそうです。


そして時は流れ、17世紀のスペインの王・フェリペ2世から4世にまで仕えた王室料理長のフランシスコ・マルティネス・モンティーニョは、この時代の料理界において新しい調理法を導入した料理本『厨房、菓子、カステラ、保存食品の技』を残しています。その中にビスコチョの製造方法もありました。
ビスコチョを作る時の、卵の泡立てる方法は2種類。「共立て法」と「別立て法」です。

別立ての攪拌(かくはん)法では現代の泡立て器の様なものがなかった為、写真の大きいしゃもじのような先が丸くて平らな木ベラを使って卵を立てていたそうです(修道女の両手攪拌法)。砂糖や卵を使っていることからビスコチョは病人に向いた栄養価の高い健康食品としても重宝されており、各地の修道院で広く知れ渡りました。またそのように重宝されていたのは、ビスコチョだけではなく、チョコレートもその一つでした。

その頃のチョコレートは未知の贅沢品でした。チョコレートの歴史はとても古く、始まりは紀元前600年ごろとされています。南米大陸でカカオの栽培が始まり、13世紀ごろからメキシコで栄えたアステカ文明の中で飲料として発展しました。焼いたカカオ豆を挽き、唐辛子や生姜などの香辛料とでんぷんを加えて湯で溶いた「チョコアトル」という飲み物です。これは『神々の飲み物』という異名をもち、収穫祭の儀式では神々への捧げものとして使われていました。栄養価が高いため、戦いに出る兵士の士気を高める為にも飲まれていたそうです。


また、カカオ豆は金よりも貴重とされ、1400年ごろのアステカではカカオ豆10粒でウサギが一匹、100粒で奴隷一人と交換出来るほど高価でした。その為、チョコアトルは、アステカの人々の中でも貴族と兵士しか飲むことが許されなかったそうです。



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