Vol.13
18.5.21 (2/3ページ)

5日目:ラファ・ゴロチャテギ氏のお話と小山シェフによるショコラセミナー

16世紀初頭にスペイン人がアステカを侵略した際、チョコアトルの存在をスペイン人は知ることになり、スペイン軍を指揮していたエルナン・コルテスが母国スペインにカカオ豆を持ち帰り、国王にチョコアトルを献上しました。
アステカ流の香辛料とでんぷんを加えたチョコアトルは、スペイン人の味覚に合うように徐々に調整され、砂糖や蜂蜜、シナモンやバニラを加えたチョコレートの飲み物が流行しました。

チョコレートがフランス国内へ伝わったのが、スペインとフランスの国境にある、海の玄関口となっていたバスク地方が始まりでした。
やがて、迫害を受けバスクに移住してきたユダヤ人たちの様々な技術が導入され、チョコレートの製造技術の発展が進んだのです。
チョコレートの飲み物は初め、栄養価の高い“薬”として徐々に人々に知られていきましたが、17世紀後半、フランスの宮殿内で広まり、その後全国的な嗜好品として好んで飲まれるようになったのだそうです。

その当時、バスク地方ではすでにフランス初のチョコレート工場が出来ており、カカオ豆の加工やチョコレートの製造が進んでいたとのこと。輸入したカカオ豆を乾燥させるところから始まり、豆を粉砕して、皮とカカオニブと呼ばれるチョコレートになる部分に分けます。

石でできた湾曲したまな板のような「メタテ」や棒状の「タウナ」と呼ばれる道具を使ってカカオをすり潰し、ペースト状にしていきます。ヨーロッパは気候が涼しい為、チョコレートが固まらないようにそばで焚火をしながらの作業で、熱い中での重労働なので相当辛いのではないかと感じました。

ちなみにエスコヤマのチョコレートショップ専門店「Rozilla」にあるセミナースペース「aZITTO」にも「メタテ」が飾られております。


ラファさんは当時飲まれていたチョコレートを再現して下さいました。

◆レシピ◆ カカオ 45% ・ お砂糖 40% ・ 小麦粉 15%


お湯に溶いて飲むのですが、小麦粉が入っている分濃度はあるものの、思ったよりもスッキリした味わいで、現代のココアと比べると物足りなく感じるかもしれません。


この頃のサンセバスチャンは、バルよりチョコレートショップの方が店舗数は多かったのだとか!ショコラ製造を担当している僕としては夢のような街で、タイムマシンがあれば当時の街に是非伺ってみたいものです!


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