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最終日、ペルビアン・ガストロノミーの調査もこれでおわり。こんなにおいしいカカオの旅は初めてでした。終わるのが残念です。カカオ農園の街があるタラポトから飛行機でリマに戻り、空港からそのまま車で向かったのは、セビチェリア La Mar(ラマール)。
La Mar(ラマール)は伝統的ペルー料理のセビーチェの専門店で現地ではセビチェリアとよばれ、主にランチにセビチェリアに行くことが多いそうです。セビーチェとは「新鮮な魚を塩とレモン汁、トウガラシ、赤玉ネギで和えた“ペルー風魚介のマリネ”(「新井商店 荒井隆宏のペルー料理」より)
次に出てきたのは3種類のティラディート。「ティラディートとは魚の薄切りをお皿に平たく並べて、上からソースをかけたもの」(「新井商店 荒井隆宏のペルー料理」P26より)
マテ貝のティラディートとサーモンとニジマスのティラディートの上からキヌア トマト、アボガド、カイワレ大根を入れたティラディート・デ・アンディート(アンデス風ティラディート)
小山シェフが少し味見するなり、
「日本人はこっちのほうが好きだと思う。何故かわかる?」と質問が飛んできましたが、
「まったくわかりません」というと、
「あ、お前は現地の人やったな」と同じ質問を石丸さんに投げなおししていましたが、
確かに、僕にとってはどっちもおいしいので、その質問は答えることができるわけないですよ。
「これは、刺身のような薄造りやろ。このほうが日本人にとって食べやすい。それに、このソース、セビーチェのソースに比べると、とろみのあるソースがかかってるだろ。日本はとろみ文化の国やから、このソースの感じも日本人好みだと思う」と小山シェフが解説してくれました。
それを聞いた通訳の太田さんは
「小山シェフ、実はこの料理は日本人の影響でこの形になったといわれているのですよ。薄く魚をさばく包丁技術は明治時代に出稼ぎに来た日本人がペルーに伝えたものらしいです」と教えてくれました。
「なるほどね。この料理もそうだし、この国の味にどことなく親しみやすさを感じるのは、もしかしたら、日本の料理を少し感じる瞬間があるからなのかもしれませんね」と小山シェフ。さすが、小山シェフは味の達人。初めて食べるものの味のポイントを瞬時に分析してしまいます。横で食べている僕は、いま自分が食べておいしいと感じたのは、「そういう理由だったのか」と納得できるほどわかりやすい。味は感覚的なことで、それを頭の中で、意識的に分解したり、美味しさの理由をはっきりと言葉にすることはとても難しいですが、小山シェフはどんなものを食べるときでも、自分の感じる味の理由を探す習慣があるので、一緒に食べていると、無意識に感じることを言葉にされるような感覚を味わうので、味のメンタリストみたいに見えてきます。
続いて出てきた料理は、一瞬お寿司と見間違えるようなスタイルの料理でした。カウサという、伝統的ペルー料理なのですが、カウサとは本来マッシュポテトにサラダを挟んだような料理ですが、ここで出されたのは小さく丸めたマッシュポテトの上にトリとマヨネーズ、マスとマスのソース、カニとエビ、アンチョビ、などが載せられていました。これがまたとても美味しいのですが、このビジュアルはお寿司からインスピレーションを得たものだと感じました。
ペルーには多くの日本人が移住した歴史があります。1899年に始まったペルーへの日本人契約移民は1923年にその制度が廃止されるまで、約1万8000人が海を越えたのですが、その後、移民たちが家族や縁者を呼び寄せた結果、3万人以上の日本人がペルーに渡ったそうです。この歴史からもそうですが、彼らがペルー料理に与えた影響は少なくないことは今回の旅で随所に感じることができました。
まさに、料理は歴史ですね。その一皿が生まれたのはただの偶然ではなく、たくさんの理由や背景があるのですね。例えば、今我々がガストンさんのお店でいただいたセビーチェ一つ例に挙げても、それが生まれる背景にはペルーの地理環境や激動の歴史があるのです。
そもそも、ペルー沖は南極からのフンボルト海流と赤道メキシコ沖からの暖流がぶつかる場所で、とても良好な漁場となるそうでです。生魚を食べる文化はインカ時代のころにはあったそうですが、セビーチェに使うレモンや玉ネギはこの国にはもともとありませんでした。コロンブス新大陸発見以来、ヨーロッパ人が持ち込んだものだそうです。あと、セビーチェによく使われているコリアンダーはアジア原産。アジアから海路でイスラム圏に入ってアフリカを経由して、アメリカ大陸にたどり着いたそうで、コリアンダーはいつの間にかセビーチェにはなくてはならない素材として使われるようになったそうです。まさにフュージョン料理といえる一品がペルーの伝統料理として、国民に認識されているのです。ペルーは原住民の高度な食事文化の上に、ヨーロッパからの移民、奴隷貿易で連れてこられた黒人、中国人、日本人など本当に多くの国の移民たちが持ち込んだ文化が入り混じって、現在のセビーチェになったのでした。
そう考えると、おそらく世界中、どの料理ももはや固有の料理はほとんどなく、長い歴史の中で変化を遂げたフュージョン料理なのでしょうね。イタリアやスペインのトマトも、韓国のトウガラシも、日本の肉じゃがのジャガイモだって、実は全部南米からやってきたもので、その国にはありませんでした。言うまでもなく、チョコレートを作るカカオもアメリカ大陸原産です。お互いがお互いに影響しあって、今ある世界が存在すると考えると、宗教や人種などいろんな理由で紛争を繰り返していますが、実は争う理由なんてなかったりするのかもしれません。
一度のペルー訪問ではその全貌は決してわかりませんが、ペルーのガストロノミーはとても奥深いものだと思いました。今回の経験で感じたのは、ガストンシェフ、スチアッフィーノシェフが自ら進んで背負う料理人だから果たせる社会的役割だと思います。
ガストンシェフは国民から多大なる支持を得た料理人さんで、彼が支持をされている理由はただおいしい料理を作るからではないそうです。彼は料理学校も運営されており、貧しい子どもたちでも学校に通えるようにしているそうです。また、違法でコカ栽培をしていた農家にカカオの転作をすすめ、自らカカオ農園を運営して、チョコレートを作る工場も持っているそうです。お店で使う魚は法で定められた大きさの魚以外は採らないよう、漁師さんを支援して乱獲をしないようにうながしたり、常にペルーの根底に抱える貧困と向き合いながらお店を運営されているそうです。
また、スチアッフィーノシェフは、アマゾン地方の食材や料理を積極的に世界に紹介することで、アマゾン地方の面白さやその自然の大切さ、また、原住民に対するリスペクトを料理を通じて表現しているように思いました。彼も同じく、アマゾンの自然破壊や原住民の貧困など、白人優位のペルー社会に対して、原住民のプライドを取り戻す活動を行っているようにも見えます。
これは私の想像ですが、彼らはもともと食を通じて社会を変えようと思って、料理人になったのではないと思います。彼らは、「ただおいしいものを自分たちの信じる正しい方法で生み出したい」と考え、日々自分の目の前にある課題に取り組んできたのだと思います。そして、その延長線上に、ペルー社会にある貧困や人種差別、環境破壊などの問題に取り組まなければならなくなったのだと思います。それは、小山シェフが「未来製作所」をつくった時も同じプロセスでした。小山シェフもパティシエを志して、今に至る間に、ただ目の前の課題を自分なりに取り組み続けていた結果、「未来製作所」という子どもしか入れないお店を作らなければならない、という結論に至ったと聞きました。小山シェフの言葉を借りると、
「ただ自分なりに直面している課題を毎日深く掘り下げてきただけ。しかし、掘り下げた結果、直面した課題は社会全体の問題でもあった。だから、他人からは僕が社会の問題に取り組んでいるように思うかもしれないが、そうではなく、それはパティシエになって数十年目に向き合うことができた課題だということ」と、表現力の豊かな未来のクリエイターを生み出すきっかけになってほしいという願いを込めて、未来製作所を作りました。
斜めから見る人は、彼らのことを、ただの商売上手や偽善者的な目線で見るかもしれませんが、その分野のトップランナーしか直面しない問題なのだと思います。そして、そこに日々向き合っているトップランナーがいるからこそ、その分野が社会に存在する理由が生まれるのだと思います。
「ここペルーに来て、ガストンシェフやペドロシェフの料理を食べて改めて感じたのは、ヨーロッパで修行してきた彼らがヨーロッパの料理から自国の伝統料理や食材に目を向け、自分たちのテロワールを使いこなすために、とても努力をしているということ。食材の面白さもさることながら、これこそが、いま世界中の料理人さんから彼らが注目されている理由だと思う。日本人もいかにそこを大事にするかだろうね」と、小山シェフは嬉しそうに話しをされていましたのは、たぶん、いろんな部分で共感できたのだと思います。
ペルーに来る前に小山シェフが言ってたこと、
「今世界中からペルー料理が注目されている」という言葉はその理由を体験(小山シェフの解説付き)をもって感じさせていただきました。だから、今回の日記は少し「食」のジャーナリスト気取り書いてみました。
あと、印象的だった小山シェフの話は
「今回の旅行で分かったことは今世界の料理人に影響を与えている料理はやはり日本料理だと思う。それは日本から南米に渡って新たに生まれた『ニッケイ』というジャンルにヨーロッパのシェフが影響されていることも含めて。カツオだったりコブだったり、また玉露の味は日本の「うまみ」という感覚は感のいい料理人なら誰しも自分の料理に取り入れていっている。そして、今回の改めて確信したのは旨みを凝縮させる伝統技術としての発酵の大事さ。私自身、発酵というものの可能性は日本人である自分のアイデンティティーといっても過言ではないくらい、自分の根底にあって、ここ数年ずっと注目してきたが、発酵食品を使うことは自分にとって一つの必然的な流れだと思うようになった。そもそも、チョコレートもカカオ豆を発酵させて作る発酵食品だしね」
テロワールを生かす努力を惜しまない人こそが、必然的な味を生み出す人なのだと思いました。そして、必然的であることが、今の時代の本物としての大事な要素のように思えます。これが、小山シェフとペルー料理を頂き、また、カカオの産地を巡り感じたことです。
ペルーは面白かった。とても豊かな国だと感じました。そして、かつて海を渡ったたくさんの日本人の方たちに感謝です。想像するに、彼らの勤勉さはペルーに人たちにとても好感を持って受け入れられたような気がします。私の感じた親日感情はそこから始まったように感じました。また、セビーチェ食べたいなぁ。