vol.22
久住章のトイレット

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 この久住さんとのトイレ作りは本当に密度の濃い勉強でした。現場の途中、時折投げかけられる久住さんからのA難度の質問にアタフタするばかりで、
 「すいません、わかりません。」と
 萎んだ私に丁寧にさまざまな話をしてくれました。

 たとえば、ある時、「今後の左官に必要なものはなんやとおもう?いや、建築業全体にいえることでもあるな。」と久住さんが私に質問してきました。工事現場で交わされるにはあまりに高尚な質問で、もちろん、建築関係の仕事をしている私としては即答したいところですが、その答えなど用意しているわけがありません。

 「今の左官屋に足りないことは、幸せ感や。技術的なことやないねん、実は。要するに壁を塗ることで、人を幸せにしようと思う気持ちやねん。本気で幸せにする気がないと、決して壁で人を幸せにすることはできへんねん。今は日本中しょうもない建物ばっかりやろ。でもこれは、能力のない建築家がいかに多いか、ということやねん。能力がない建築家は完成度をあげるために緊張感を上げるようなデザインをするんやけど、でも、それは、結局お施主さんへのごまかしなんや。そんなもんすぐ飽きてしまうし、もちろん、リラックスなんてできるわけないやろ。本気でお施主さんを幸せにしようなんてちっとも考えてない。これからの建築業はいかに人を幸せにするかやで。その点、ケーキはすごい幸せにする力があるよな。我々もこれが必要やねん。」
 この人は左官の神様だと思っていたが、そうではありませんでした。建築業界全体のことを考え、憂いている「建築の神様」にみえてきました。

飾り棚  久住さんがトイレの飾り棚を漆喰で塗っていたときのこと、
 「ここ見てみ。」
 と棚の裏の漆喰を塗りたての部分をコテの先で指しています。
 「漆喰をコテで塗るとどうしても、つるっとしてしまうやろ。せっかく棚を丸い形で作っているのに、つるっとするとラインが強調されて柔らかさに欠けてしまうんや。この建物に必要なのは優しいラインやろ。乙女の便秘を治さなあかんしな。がははははは。」
 知ってか知らずか久住さんは私に「自分は3流だ」ということを会話の節々で思い出させてくれます。

話はそれましたが、「だから、漆喰を塗ったあとに、紙やすりで漆喰の表面を少しだけこすってあげるんや。そしたら、漆喰に含まれている繊維が立って表面に毛が生えたようになるやろ。そうなると、ラインがぼやけてぼんやりした柔らかい表情がでてくるんや。な、今の説明ちょっとプロ見たいやろ。ガハハハハハハハハハハア」この人はずるい。何せ自分で冗談言っといて、一番自分がうけているんですから。それを見て、ついこちらもつられて笑ってしまうので、久住さんの現場では笑いが絶えません。
  デザインにはテーマ(目的)があり、どの部分を考える時も必ずそのテーマが示す方向性に合うかどうかが肝心であることをちゃんと教えてくれました。そして、久住さんはどんなディテールでもこれが決してぶれない人でした。

 手洗いの水受けを考えている時のこと、「せっかくならこの建物に合う水受けを作ったらいいとおもわへん?」と言い出しました。そこでコヤマシェフに了解を頂き、陶芸家の今西公彦さんに水受けの製作をお願いしたのでした。その打ち合わせで久住さんが今西さんに言ったことは、
 「空間を破壊するようなものを作って。ドヒャ、とするようなものがええわ。ガーンと力のあるやつ。これは僕(の壁)と今西さんの器の勝負やで。どっちが力があるかや。がっはははははははは。いつまでにできる?」
 横でその話を聞いていて、
 「何だこの抽象的で擬音だらけの依頼は?」と思いながらつられて笑うしかないと、一緒に笑っていました。

久住さんとコヤマシェフと今西さん

 この打ち合わせの帰り道、久住さんが教えてくれたことは、
 「若い作家さんにものを頼むときは、あんまり細かいことを言ってもらええもんできへんねん。今までに彼がされたことのないような頼み方をするんや。そしたら、彼自身も、自分では想像できへんもんを作るかもしれん。彼はとても良いもんを持ってる。それは作品を見たら一発でわかったわ。でも今まで作っていたようなものを同じように作ってもらっても仕方ないねん。彼はこのトイレによってひとつ新しい世界を見つけてもらえるかもしれんわ。がはははははは」
 この人はどこまで行っても場外ホームランしか狙っていないということがこの時よくわかりました。

 また、ある日のこと、「よし、昼食にしましょうか?」と久住さんが昼食に誘ってくれました。
 このトイレの工事が始まって以来、毎日のように顔を合わせ、時折、こうして昼食にいくのですが、これは初めてお昼をご一緒させていただく時のことでした。
 「何を食べましょう?」と信号待ちをしている車の中で時に久住さんに尋ねてみると、
 「せやな、モスバーガーはどうですか?」と予想だにしない答えに思わず聞き返しました。
 「え、モスバーガーですか?」おっさん同士が作業で汚れた服で行くには少し気が引ける場所です。
 「しかし、なんでまたモスバーガーなんですか?」一応聞いてみると、
 「え、(モスバーガーって)美味しくない?」とギャルみたいな答えが返ってきました。
 「確かに、ウマイッスけど。」
 「今はポップなもんを作ってんねんから、ポップなもん食べんといかんやろ。おっさん臭くそばなんか食べたらポップなトイレはできへんで、がははははははは。」
 またまた必殺自画自笑。ついつい笑ってしまうが、なるほどの理由です。
 そしてこの日の夕方こんなことも教えてくれました。

壁のサンプル  「イタリアの町を歩いているとなんともいえん独特のやわらかい雰囲気を感じることができるやろ。それは建物の壁のせいなんや。どの家も壁の雰囲気が柔らかいんや。あれは日本では見ることができへんねんけど、それは技術的な理由ではないんや。日本とイタリアの壁の違いは実は国民性の違いなんや。日本人は性格が細かくて几帳面なところがあるやろ。だから、壁を塗る時、決して塗り接ぎが出来ないように、いくら大きい壁でも手を止めることなく、一度に塗ってしまうんや。だからピシッとした仕上がりになる。それはそれで美しいんやけど、どうしても雰囲気が硬くなってしまうねん。その点、イタリア人は大きい壁でも2、3人でのんびり仕事するんや。壁を塗っている途中でも昼がきたら仕事は一休み。

昼休みなんてびっくりするぐらい長いんやで。だから、どうしても塗り接ぎをしながら壁を塗っていくことになるんやけど、塗り接ぎの部分にラインが出来てしまうから、それをどうにかごまかしごまかし壁を塗って行くと、なんともいえんグラデーションのかかった柔らかい壁ができるんや。これは国民性の違いという以外の何者でもないやろ。だから、日本人には決してまねのできへん壁やねん。生活のリズム、何を食べるか、そんなことが実は左官にも大きな影響をおよぼしてんねん。」と。この話を聞いて以来、松の剪定の時は必ず和食を食べ、和の心を体に注入してから剪定することにしました。

 また、ある日の昼食時。場所はもちろんモスバーガーです。このトイレの工事中、我々は結構なモスバーガーの常連になっていました。
 「久住さん、今、ここのトイレ以外にどこの物件があるんですか? 」
 コーンポタージュスープのコーンだけをスプーンですくって食べながら、何の気なしに聞いてみると、
 お気に入りのおにぎりバーガーを食べていた久住さんは、
 「タイの王宮の壁画の修復に、ドイツの個人邸、台湾もあるかな。イタリアのサルディニア島の件はどうなったけ?なんか遠いところばっかりやろ。僕、飛行機嫌いやからどこもあんまり行く気がせいへんねんけど。」


配合の調整

 気軽に投げかけてみた質問の答えで、お昼で混雑しているモスバーガーの私の目の前に座っておにぎりバーガーをうまそうに食べているおっさんこそ「左官の神様」であることを思い出させてくれました。
 久住さんのすごいところは、久住さんがまったく偉そうじゃないところです。常に物腰が柔らかくかっこを付けることしません。話している内容は本当にすごいことばかりだけど、不思議といやみに聞こえません。
 飛行機がいやなら代わりに私が行ってもいいのですが、絶対役に立たない自信があるので無駄なオファーはせずに、コーンスープの中にあるコーンを見つけて喜ぶのはあまりに人間が小さいからやめようと、スープを一機飲みしました。

久住さんと菅原さん  また、こんな一面もありました。久住さんは決して妥協をしません。完全に仕上げた壁や土間を次の日全部めくってしまうことも一度や二度ではありません。そして、
  「僕は日本一の左官屋なんかやないよ。僕は日本一失敗の多い左官屋やねん。がはははははは。」年齢を重ねると自らの失敗を認めることが精神的にも、社会的にも難しくなってくるのはまだ久住さんの半分も生きていない私にですら分かることです。それが、この久住章にかかってしまうと、日本一の失敗の多い左官屋と大笑いしながら、自分の仕事を惜しげもなくつぶしてしやり直してしまうのです。





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更新日09.10.05

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